『月の変換再構成』
篠原 猛史
顧みれば、今日まで幾度空をあおぎ、月を探したことだろう。
探すというより、地上に目を奪われている最中にも、
その存在をふと感じ、まっすぐに見上げることの方が多かったかもしれない。
観ることの積極性を生む偶発は必然でもある。
単に「月を見る」ということから発して、私は如何に月を観ていたのであろうか。
月と自分との間に生じるイメージは様々であるが、その時、私の観点は少なからず変革している。
「月」が私に作品を創らせた。
意識的に積み重ねて来たものであっても、後にいつしか意識下に沈み込んで思考への制約や枠となってしまうことがある。
そのようなものが取り払われた晴々とした宙への変革、また、その過程として物事を観ることが大事なのだ。
それは螺旋を描きながら、本質的な中心に迫り、創造の源泉に至る道筋だと信じている。
激情や内的葛藤を静めた後の理性をも超えた極致 ーサブライムー へ向かう為に。
「月」という静かな対象は、充分にその道標となった。
ヒンヤリとする知覚が維持する場の変換を体感しながら生の集積を観る。
更にその熟成を促すように作品として再構築されてゆく。
観点の変革が生み出す積極的な新しい世界を開く符号となるような作品であることを願っている。